『氷川清話』

 文章ごとの人の個性というものはおもしろいものでして。文章の個性=書いた人の個性ではもちろんないでしょうが、それでも文章からその個性を推理したり補完したりするのは楽しいものです。長いもの短いもの、論理的なもの情緒的なもの、単純明快なもの婉曲的なもの。文章の書き出しなんかも人それぞれ違うものでして、私の場合は本題から少し外れたところから始める気がします。が、流石に勝海舟につながる枕なんてのは思い付かねえよ!精進します。


 というわけで久しぶりに本を読んでおもしろかったのでその紹介をば。本著『氷川清話』は海舟の弟子などによる回顧談や逸話等を現代語訳したものです。海舟は幕末において小普請組の子供でありながら蘭学の素養を認められ、長崎での海軍技術の習得後、咸臨丸での遣米、江戸城無血開城という一大事業の幕府側代表という異例の出世・活躍をした人物で、陪臣ととるか先見の明をもった人物ととるかで評価は別れるのではないでしょうか。


 そんな人物ですが、その後明治政府内でも高い地位を与えられ、旧幕臣の生活保障や名誉回復に尽力したことは本著を読むまでは知りませんでした。また一定の人気もあったようで元は新聞での連載だったそうです。えー、で肝心のなにがおもしろかったかについてさっさと話を移します。


1.江戸っ子
 歯に衣着せぬ物言いで新政府の人間でも幕臣でも批判していまして。理由としても単純明快、おおよそみみっちいことをする人間を彼は嫌っています。小さくまとまらず大局を見据えてという考え方は江戸の人間や明治の精神にも合致することがあったのではないでしょうか。また明らかにというほど歴史に詳しくはないですが、それにしても若干大言壮語というかホラ吹き的なセリフが多々ありまして。自身の業績や逸話や精神性の告白についてがかっこよすぎる。しかしそれがいやらしくなく、リップサービスとして受け取れて妙な爽やかさがあるんですねえ。


2.英雄のその後
 幕末には数多くの英雄が出ましたが、彼はその中でも長命な方でして。例えば彼の門下生であった坂本竜馬大政奉還後まもなく暗殺され、江戸城交渉相手の西郷隆盛は明治政府内で孤立し西南戦争で自害し、大久保利通は政府重要人物でありながら暗殺され、長崎で同塾生で旧幕臣後明治政府の要人となった榎本武揚は出世したが故にか手記のようなものはあまり残されてないです。そんな中77歳まで生き、日清戦争や作家では幸田露伴などについて言及できるほど長命であった彼は特異な存在であったかと。英雄と美人は短命であるのが相場で、またそれゆえにそのカリスマ性を高めるものですが、一方で長生きして当時を語ってほしいというのも正直なところではないでしょうか。その点において自身の業績や同時代の多くの英雄について語っているという貴重性がおもしろさの第二点です。


3.無頼派
 この本を読んでてどっかで似た文章を読んだなーという気がしてまして。ようやく思い当たったのが私の大好物の坂口安吾のエッセイでして。達観した投げやりな感じと、大義名分にこだわる感じがそっくりだと個人的に思います。坂口安吾太宰治に代表される無頼派という人々は、現実なんて欲望と物質がすべてだぜーと悪ぶる一方で純愛とか人生の大義とか精神の高みとかをひたすら追い求めてる人々というイメージがありまして。一体何なんでしょうねー。不良漫画の主人公が優等生の女の子を好きになるみたいなもんなんですかねー。


本著において西郷隆盛に言及した部分というのがほかの人物に突出して多いです。しかもその純朴さ・誠実さをベタ褒めしたものがほとんど。思うに海舟は西郷に自身の理想を見出していたんではないですかねー。本著において海舟は純朴さ・誠実さを推奨していますが、彼自身はあくまでそれらを手段として自覚しながら使っていたんではないでしょうか。旧態然とした幕府の中でのし上がり、明治政府内で生き残っていくには時には狡猾に汚い手段を使う俗事と無縁ではいられなかったことでしょう。禅や剣術でなんとか高潔さを得ようとした海舟には、生まれながらの清廉さをもった西郷がどうしようもなく眩しく写ったのではないかと。その美しいものに対するコンプレックスも無頼派に近しいものがあって惹かれますねー。美しいものではなく美しくありたいという方が個人的にはおもしろいので。


ってまあ歴史に詳しくない人間の、本人の談ではなく回顧談のしかも現代語訳を通しての勝手な妄想ですけどねー。

氷川清話 (講談社学術文庫)

氷川清話 (講談社学術文庫)