ぼくは演奏ができない

暇すぎて最近はやるゲームにも事欠くようになってまして。しょうがなく以前買ったアーマードコアFAを引っ張り出してきました。んでやっぱこれ私にはムズイす。買ってすぐに投げ出した過去の自分を責めることはできないな〜と自己弁護してしまうほどに。アクションシューティングなんですが、ガチャ押しで乗り切っています。きっとこのゲームをうまくなることはないでしょう。なんでかというと、まず自分のプレイでなにが良くてなにが悪いかが認識できてない。これでは無理ですねー。


えー似たような問題を慢性的に抱えておりまして。私の周りでは音楽に造詣が深く、自分でもやってるという人が多くて、そうした話題になることも必然的に多いんですが。ただ私はと言えば聞くのも実際にやるのもさっぱりなんですな〜。で、そういう話題になった時は、具体的な話はわかんないんで音楽をやる人がどういう風に音楽を捉えているかに興味がわきます。


音楽への認識能力の差というのはおもしろいですねー。聞く能力が高くても演奏はしない人もいますが、名演奏ができる人あるいは名曲を作れる人はそれなりに、聞く能力も高いと思います。聞き分けられなきゃ自分でもできないでしょうから当たり前っちゃそうですけども。


たとえば私のようなやつでも音楽を聞くと脳内にデータとして保存される。じゃなきゃカラオケも行けないし、口笛も吹けないですから。ただ一方で同じデータを楽器別に分けたり、譜面化出来たり、アレンジ出来たり、あるいはデータそのものを作り上げることができる人もいる。


このLateXとメモ帳ばりのソフトウェアの性能差は悲しいですねー。言語に置き換えると私の場合「あ」という文字は読めるし書ける。でも「あんぱん」「アンニュイ」「安全保障理事会」みたいな語句の意味は分からない。「ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目を覚ますと、自分が寝床の中で 一匹の巨大な虫に変っているのを発見した」なんて文章になると覚えるのに100回は書かないとだめで、しかも名文ではなく呪文としてしか認識出来ない。小説なんてものは概念すら理解できずに一生を終えるでしょう。人生損してるってレベルじゃないな。書いてて凹んできましたよ。


そこで気になることが、音楽をやってる人というのはこの聞き分け能力が生まれつき高いのか、それとも物心つくあたりまでの積み重ねで高くなってるのか、それとも音楽をやるようになって徐々に高くなるのかということでして。認識能力の磨き方を教えてほしいということです。後付けの理論の学習というものはあまり問題ではない気がします。あくまで感じ取らなければ名付けるという行為はないはずですから。


複合的で答えの出ないことかもしれませんがどうなんでしょう。幼稚園ぐらいからピアノ行ってる人もいれば、大学からギター弾き出すという人もあって経歴としてバラバラですしねー。できない人間としては才能と幼児教育と言ってもらえると楽なんですけども、一方で救いがないですねーこの結論だと。



わかんない人間がわかんない対象についてかくとわけわかんなくなりますねー。というか理論は言語だから言語から音楽にはたぶんたどり着けないんでしょうねー。