酔ってないと事物の評価ができなくなってきた。

前日の反省をしてきちんと計画的につまみを買いました。ひじきとスモークタンがあわせて210円というリーズナブルさ。酒を楽しみつつも頭髪はいたわりつつも財布もいたわる、我ながら恐ろしいほどの深謀遠慮。などと思っていたがこれを書き始める段階ですでに食べ尽くして、お腹がくちくなったせいか今すぐ横になりたい。己の無計画を呪いつつ今日は端折ると決めた。酒が入って端折ると決めたからには、ではここはひとつ西尾維新論でも展開しようではないか。


といっても化物語シリーズと戯言1巻しか読んでないので化物語論になってしまうか。


えらく人気のあるらしいアニメ版化物語。原作を読んだ状態で見た私の感想としては、ふぅむむむむむ。「今まで見た中で一番面白いアニメは化物語です!」という人の存在を聞いてはこういわざるを得ない。「原作の方がはるかに面白いですよ。」と。


では原作の何がおもしろいのか。キャラクターの個性も、漫才的な掛け合いも、超常現象を人間主体におとすところも確かにおもしろいが、それらは他の作者でも補給できる成分であって、あくまでも私にとってはだが、面白さの枝葉にすぎない。大事なのはそれらを書くために他の部分を削ぎ落としたこと、もっと言うと削ぎ落すというそのスタンスこそがおもしろいのだ。


読んだ当初は面白さを明確に表現できなくてもやもやしていたが、ある人のtwitter上の「西尾維新タランティーノ」発言でかなりすっきりした。この記述でなるほどと思った人はもうこのページを閉じてよいと思えるほどにこの説は私にとっては納得がいく説である。


化物語の特徴としては、パロディやメタ表現を当たり前に使う掛け合いの割合の多さと対照的に人物・物語への説明の少なさ、本筋の短さがあげられる。事件が起こるのはページ数の半分を過ぎてから。4ページにわたってヒロインの下着の形状を語り、同じページ数で宿敵が倒される。同時に舞台に存在する人物は特例を除いて2人のみ。キャラクターの性質は不動の属性として一つの名詞で済ませられる。


こうした特徴について文句を言うとすればそれこそ、レザボア・ドッグズでなぜ銀行襲撃のシーンがないのか!とか、フロムダスク・ティダーンでなぜ吸血鬼出んだよ!とかキル・ビルのブライドはなぜブルース・リーのジャージを着て日本刀を振り回すのか!と批判することに他ならない。結論としては、「それは面白いと思う部分を描いて、面白くないと思う部分を削除したからです。」というただそれだけのことだ。



冗長な漫談も持って回った言葉遊びも面白ければそこにページを費やすが、月並みな説明や見飽きたアクションシーンは出来るだけ省く。そうして自分が考える面白さのみを、貪欲にくどくあざとく手段を選ばず、講談社BOXなんていうボッタクリの値段の紙面上で追求している大胆さこそがこの小説のおもしろいところなのだ。あうあわないは確かにあると思うけれども。変な話だがもし化物語が無料のweb小説だったら私は読んでないかもしれない。


それに比べるとアニメ版は、音声では伝えにくいからか掛け合いパートを短く切り詰め、インパクトの大きい絵ばかりを選び、キャラクターの感情や個性を表情や声優の演技で訴えようとする。アニメという分野に特化したおもしろさをこちらも追求していて、まさしく西尾維新と同様真摯な態度で好感が持てる。




人気作なので最後日和った。だが講談社BOXについてはボッタクリと言って憚らない。今は売れてるからいいがもし売れなくなった時は思いつく限りの罵詈雑言で口汚く罵るから覚悟してろ。