宇宙人問題から学ぶ見た目の重要性

映画『第9地区』を見た。とんでも展開なとこはよかったが、設定において若干荒いというか説明不足だったように思う。宇宙人はなぜ武器を持ってるのにあんなに無気力なのかとか、仲間意識あるくせに協力しないところとか、バリア的なものがないところとか、メスが出てこないところとか。SFの設定は無駄に凝ってるぐらいがいいと思う。


で、あの映画の中で宇宙人と人類の関係は良好とは言えなかったわけだがその原因を考えるに、ほぼ見た目のせいのように思う。あんな姿形してる奴とはそりゃ仲良くなろうとは思わないわなあ。


だがもし宇宙人がいたとして、彼らの見た目が地球人の美観に沿う、もしくはワレワレの見た目が彼らの美観に合致する確率は極めて低いだろう。手足の数、体毛の有無、感覚器官の優位の差、構成している物質、そもそもスケールが一致するかすら怪しい。


仮に見た目が許容範囲でもドブ以下の悪臭を放ってるかも知れないし、ガラスをひっかく音が彼らの言語かもしれない。そんな奴らと街角で顔を合わせたくない。


こうなってくると宇宙人とは直接会わない方がいい気がしてきた。人間同士の好悪感情は第一印象で半分は決まると言われている以上、いきなり顔を合わせては却ってこじれてしまうだろう。もっというと、文書でのやりとににとどめておいて永遠に顔をあわせないほうがいいかもしれない。大げさに聞こえるかもしれないが、同じ地球人同士の異なった文明が歴史上不幸な邂逅をしてきたことを考えると極端な物言いでないことが分かってもらえると思う。


唯一の可能性としてはまだ警戒心の低い子供のうちに両種族を会わせて共同生活をすればなんとかなるかもしれない。子どもならではの残酷さでより深刻な事態になるという可能性もあるけれど。「お前の母ちゃん、ゆうたいるいー!」とかいうイジメが。


いずれにしろセミも触れなくなった私では手遅れだ。もし宇宙人と仲良くなりたければ、ペンパルになるぐらいでとどめておくのが良いだろう。宇宙人なんてのはやはり想像してるだけが一番で、来ないでいてくれると助かる。