お堀で一杯案、略して

二日連続で居酒屋に行ったので居酒屋の話でそういう要素は無い。


居酒屋に行き始めたのは大学に入ってからだから9年ほどになる。9年といえば幼稚園児も義務教育を終えるほどの年月だが、こちらはそれほど賢くはならなかった。カルピス酎ハイで吐いてたのが焼酎で吐くようになったぐらいしか変わってない。とはいえ9年も利用して来たら色々と思うところはあるわけで、そのあたりの希望をどこへともなく言ってみよう。


居酒屋というのは実に素晴らしい施設だと思う。うまい・まずいに差はあれど酒もツマミも種類豊富で、一人あたりのスペースも広く確保してあり、長居しても許され、営業時間も他の飲食店に比べて遅くまで開けていてくれるし、多少の不作法も許される。ある意味では家より快適な空間で、大人にとっての憩いの場である。が、そんな居酒屋にも重大な欠点がある。料金が高いのだ。


本日の場合は一軒目が3千円、二軒目が2千円でしめて5千円。一回当たりの料金はそれほどでもなくとも、お盆のように回数が重なると辛いものがある。社会人どもは忙しさと収入のバランスからちょうどいいと考えているのかもしれないが、私のような身分の者にとってはこれは憂慮すべき問題だ。


では居酒屋の会計はなぜ高くなるのか。まず一つは店舗営業である以上、その場所の利用料金が発生していることである。居酒屋に限らず飲食店等はつまり場所のレンタル料金を取っているともいえる。そしてもう一つが、そのレンタル業者である居酒屋だけがその場所で飲み食いできるものを支給できるというシステムにある。飛行機や映画館での飲食物が通常より高いことに不満を持ったことをある人が、同様の居酒屋に対して何も言わないのもいかがなものか。


こうした居酒屋の独占状態を崩すべく先人達が考えた方法の一つに「家飲み」という文化がある。場所を出席者のうちの誰かの家、飲食物はあらかじめ買っておくか調理することで、費用を最小限に抑えるという方法だ。


だが残念ながら現代日本において一人飲み以外では、この方法はあまり一般的ではない。呼ぶ側が空間的・時間的に適当な場所を確保しなければならないためや、呼ばれる側が場合によっては遠くまで集合しなければならないためと思われる。加えて親密な間柄でなければお互いに家に出入りするということに心理的なハードルがあることも要因として考えられる。


こうして生存競争に敗れた家飲み派だが、場所代の節約と飲食物の自給という目の付けどころは評価できる。ようは場所という負担を個人に集中させず、社会に拡散すればいいのだ。


以前ドイツに旅行に行った際、むこうのビアガーデンで驚かされたのが、おかずの持ち込み自由というルールだ。出店でビールの他に焼きソーセージといった簡単なものを売っていたが、ビールだけを買う人も多かった。このようなシステムが成り立つのは、そこが街の広場を夏の夜限定で改装したビアガーデンだったからだろう。


つまり私が提唱するのはこれの応用で、地域の公共空間を夜間利用した公衆酒飲み場を作れないかということである。場所は地域の公園なり、学校の運動場なり。冬場は外はつらいので公民館のような室内がいいかもしれない。飲食物は自分達で持って行ってもよいし、人が集まればできるであろう店から買ってもよいだろう。それでも土地代が安ければ、店側が値段を下げるだろうからそれほど高い値段にはならないはずだ。


重要なポイントはこれが常在するということで、例えば夜の公園で一人で酒を飲むのは不審者だが、花見のシーズンに集まって飲んでいても職務質問は受けない。先に述べたような集客を狙っての店が、長期間の出店なら縁日などと違って低利益でもやっていける。あるいは地域住民同士の交流が増えることも期待できるのではなかろうか。


この案が実現するかしないかはつまるところ利用者のマナーにかかっている。隣近所の人々の前で醜態をさらすまいという自制心がありさえすれば、皇居外苑の堀ばたで一杯なんてこともできるだろうになあ。