ゲー実は爆発だ

ブログを書く気がする時としない時の差が分かった気がする。酒にツマミがないと書く気がしない。おとといはツマミがなかったが2缶飲んだので、いわばご飯を焼きそばで食べたようなものだろう。危険な行為なので以後控えたい。今日もツマミはなかったが、さっきキウイを2年ぶりぐらいに食べたらうまかったのでなんとかなりそう。ただ皮の向き方がわからなかったので給食スタイルで食べるしかなかったのが後々響いてくるかもしれないが。


さて昼間の更新でゲーム系動画なり生放送を多く見てるようなことを書いたのでその続き。というか、改めて考えるとなぜ他人がゲームするのを見ておもしろがってるかわからなくなったので。


最初の頃見ていたゲーム動画は、自分がやったことがあるゲームのタイムアタックや縛りプレイなどの上手いプレイだった気がする。次にやったことはないが上手いプレイ。やったこともなく上手くもない人のプレイを見始めたのはいつからだろうか。


やったことがなくても上手い人のプレイを見るというのはなんとなくわかる。サッカーは普段見ないがワールドカップは見るし、ゴッホダヴィンチを見たらきれいだと思うように、知らない分野でも図抜けて上手いものというのはそれなりに伝わるのだから。


対してやったことがなくて上手くもない人のプレイを楽しむというのは何なんだろうか。考えてみるにこちらはある種自分もそのゲームをプレイをしていると言えるかもしれない。


小学生の頃友達と集まってゲームをする時、全員が同時にコントローラーを触っているわけではなかった。一人用ゲームで友達のプレイを見ていることもあった。それでも野次を入れたり、的外れなアドバイスをしたり、時には全然ゲームと違う茶々を入れたりで楽しかったし、難所を越えた時は一緒に喜んでいた。ゲームで遊ぶというのは、つまりそういうことだった。


ゲームっていうと引きこもって孤独なイメージがどこかあるし、最近は自分もそういう遊び方になっていたけど、一人用のゲームでも一緒に囲んだり進み具合を人と話したりと本来はみんなで楽しむことのできるものなのかもしれない。なんとなく反省。


大人になるとゲームをしなくなるというのは、時間の問題もあるだろうが、そういう他人とのつながりが薄くなるからかもしれない。というわけでやはり同じゲームについて人が集まってあれこれ言ったりできるゲーム系動画・生放送はうまい下手にかかわらず、大人になってもおもしろいのだ。しかし自分の小学生時代にこういうツールというかメディアというかがあったら、今以上に見ていただろうなあ。良かったのやら残念やら。