無題

最近どうもこの日記の筆ののりが悪いと感じていた。思うに最近は先に題を決めていたのがよくなかったように思う。書く前に何か決めるというのは効率的な反面、どうにも先に考えた筋書きにとらわれてしまう。しばらく無題縛りで、と言った時点で無題ではない気がするが、そこから始めてみよう。


とはいえ無題というのは自由に何を書いてもいい分逆に難しいものだ。自由は山嶺の空気のごとしなどと言うが、自由作文・自由行動・自由業とどれも苦手だ。そういえば20年ぐらい前の同じ頃は自由研究などというものに悩まされていたものだ。蟻、アメンボ、ダム、凍る早さ、あと2つはなんだったか。


自由研究というのはアイデアで半分は出来が決まる気がするので、考える方の親も大変だっただろう。当時はネットもそれほど普及してなかったし。最近はなんでもネットで調べられるからそういう意味では公平な評価がしにくくなったのだろうか。個人のアイデアよりも情報調査力なんて大学のレポートみたいでぞっとしないなあ。


なんというか、文明が進むに従って職業だろうが学問だろうが細分化していくわけで、そうなると過去の研究を調べるだけでも大変で他の分野との包括なんてことはすごく難しくなる気がする。昔の社会学者で飛行機設計で来た人がいたが、現代では個人で宇宙船の設計建造は無理だろうし、ハイブリット車あたりでもかなり厳しい気がする。


ここまでくると自由研究が先人研究になるのも時代の要求として仕方ないのかもしれない、いや自由研究がまだあるかも知らないが。しかしこのままいくと先人研究だけでも大した量になりそうだがその辺はどう解決するのか。外付けでアクセス機能を持った情報機みたいなものを常時くっつけるしかない気がする。そうなったらそうなったで、人付き合いの方法も社交辞令も常識も倫理も、全部インプットしてしまえば楽そうなので早いとこ誰か作ってくれると助かる。